稲垣新太の人生 第3話

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〜目次〜

序章 低学歴サラリーマンが自由を掴むために使った“ある能力”とは?

第1話 高校生ですが、しっかり人生が狂いました

第2話 音楽廃人の末路

第3話 搾取され続けるハイスペック社畜の作り方 ←今ココ

第4話 弱者が最速、最短、最大に稼ぐ方法

あなたは現在なにか仕事はしていますか?

そして真面目に働いていますか??

多くの方が

「真面目に働いてるよ」と思うかもしれませんね。

では、あなたが

もし真面目に働いてるのなら、

なぜ真面目に働くのでしょうか??

出世したいから?

稼ぎたいから?

褒められたいから?

周りが皆、真面目だから?

上司に命令されたから?

……

これは実は私が真面目に働いていた理由なのですが、

これらの動機は全て無意味で

私が『稼げない原因』でした。

もちろんあなたの『稼げない原因』でもあるんですよ。

だって、ずーーっと会社員でいても

人より大きく稼ぐのは難しいじゃないですか?

なぜなら、

会社員である限りは搾取され続ける運命だからですね。

「いや、しっかり成績をだせばお給料も増えますよ!」

そう思ったあなた。

それは大きな間違いです。

もし仮に

【他の人より成績を出す=他の人よりお給料が増える。】

だとしたら

その逆はこうなるはずなんです。

【成績が他の人より出ない=他の人よりお給料が減る。】

でも、実際に

こんなことってあります??

他の人より

結果が出なかったらお給料って減ります?

上がらないにせよ、

元々のお給料から減るってことはないですよね?

あなたが頑張って成果を出して

会社に利益をもたらした場合、

それは成果をあげられない従業員の給料に当てられるだけです。

これを【2:8の原理】と言って、

組織は

2割の優秀な人

8割のそうでない人で構成され、

2割の優秀な人たちは、

会社の8割の利益を生み出す。

と言われています。

つまり2割の優秀な人たちが

8割のそうでない人のお給料も

稼いであげてるってことです。

それでもあなたは今の仕事を頑張ります?

自分が会社に利益をもたらしたとしても搾取されるだけなのに??

……

さて、物語も第3話

稲垣青年は見事、音楽の夢に破れ、、、

いよいよビジネスにチャレンジする、、、

訳ではなく 笑

ビジネスに本気でチャレンジする

『きっかけ』に遭遇することになります。

それは上に書いたように会社で搾取された男の物語。

ではでは、第3話行ってみよー!

23歳

私が夢に破れて音楽をやめたのは

専門学校を卒業して3年ほど立ったころでした。

実はワタクシ、

バンド最優先の生活はしていたものの、

卒業してから程なくして、

ちゃっかり就職していたんです 笑

私の部署は携帯電話の販売を担当してまして、

渋谷の電気屋でスマホ売ってました。

で、この配属された電気屋が

また軍隊みたいなところで鬼のように厳しいんですよ。

時間、身だしなみ、言葉遣い、姿勢などなど

全てにおいていじめ抜かれました。

そのお店では

「お疲れ様です」という言葉が禁止されていて、

代わりに

「ご苦労様です」という言葉を使わなければいけないのですが、

「お疲れ様」は上下関係に関係なくすべての人に対して使え、

「ご苦労様」は目上の人が目下の人に対して

使うものという考え方が定説だそうで、

お客様以外に気を使うくらいなら

もっとお客様に気を使おうってことらしいです。)

うっかりすれ違いざまに「お疲れ様です」なんて言おうものなら、

稲垣:「お疲れ様です!!、、、あっ!」

上司:「言葉遣いがなってないぃぃぃぃぃ!!

    やる気がないなら帰れ!!!!!」

稲垣:「す、す、すいません!!」

上司:「すいませんだと??

    『申し訳ございません』だろ???」

稲垣:「申し訳ございません!!!」

上司:「そんなんじゃお客様の前に出せない、帰れ!!!

〜後略〜

と怒鳴り散らされ、

その日は本当に帰らされます(ガチで)。

しかもそれでノルマクリアできてないと、

それはそれでしっかり怒られます。

そんな地獄のような会社でしたが、

私自身の売り上げ成績は決して悪くなく、

うまく怒られないように身を潜めて働いていました、、、

音楽を辞めるまでは。

ですが、音楽を辞めると随分暇になり、

心にもゆとりが生まれてきたんですよ。

毎日のように夜中まで、個人練習したり、作曲したり、

次の日が仕事だろうと

メンバーの都合でバンド練習を夜中にやったり、

ライブ後には打ち上げなんかもあったりで、

いつも慢性的な寝不足。

稲垣青年は四六時中、

「すごい眠い」か

「ものすごい眠い」という過酷な状況下で

従事していたので、

そんな環境から逃れた開放感から

「どーせ打ち込むこともなくなったし、

いっちょ本気でこの仕事で成り上がってやるか!」

と決心するわけです。

それからはトントン拍子に物事が進みました。

もともとコミュニケーション能力には自信があったので、

店舗で売上一位になるのは楽勝でした。

その後、すぐ上司に掛け合い、

都内の大型店舗への異動させてもらい、

都内トップクラスの営業マンの技を盗みました。

本もそこそこ読みましたし、

先輩が言うことはぜーんぶ素直に吸収しました。

当時の職場には今でもとーーっても尊敬する

2人の上司がいまして、

販売の手ほどきを1から叩き込んでもらいました。

「お客様の立場になって考えなさい。」

「本気でプライドを持って販売に取り組みなさい。」

フィールドが変わった今でも心がけている言葉です。

で、

その頃になると、

だいぶ『接客病(造語ですw)』が重症になってきて、

お客さんがなんて言えば、どーゆー反応するのか、

こまめにメモをとって、

客が手のひらで

転がってくれるたび喜び悶えてました。

(嫌な店員ですね、、、)

そんな大分、重症な稲垣青年ですが、

修行(?)から半年経つ頃には

その甲斐あって見事、

300〜500人程いた販売員の中で

ほとんどの販売員をブチ抜いて上位5名には入るだろう

トップ販売員への仲間入りを果たしました。

いやあ、、、

大変でしたよ。

この頃死ぬほど働いてましたから。

毎日14時間拘束(9時〜23時)で週6日勤務。

客商売なので、土日関係なしのシフト制なのですが、

休日もミーティングやらクレーム対応で

バシバシ出勤させられるんですよね、、、

でも、それもこれも

「仕事で本気を出して成り上がる!」

という目標のため!!

稲垣青年は燃えに燃えていました。

そんなノリに乗っている稲垣青年にタイミングよく好機が訪れます。

年に一度、関東圏の大型家電量販を

全てひっくるめた販売員コンテスト

(ただ売上競うだけですけど)

というイベントです。

私の会社だけでなく、

いろんな代理店も合同でやるので、規模感も大きく、

自分の実力アピールの機会として申し分なし、

やる気マックスで臨みます。

そこに照準を合わせてひたすら爪を磨き続けました。

正直、自信はありました。

「俺より売れるやつなんていない」

毎日そう心の中で唱え続けて

1ヶ月に渡るコンテスト期間を走り抜きました。

稲垣人生史上最大に集中した1ヶ月はあっという間に過ぎ去り、

自分なりに満足した売り上げを残すことができました。

「全て出し尽くした、、、、

あとは結果を待つばかり、、、」

そして、運命の結果発表当日。

わざわざ、200人以上収容できる会議室に

関東全土から関係者をパンパンに集めて、

結果発表 兼 表彰式が行われました。

肝心のその結果はというと、、、、

『稲垣 新太 関東7位!!!』

発表され、壇上に呼ばれた瞬間、

会社の人間や都内の知り合いの販売員からも

惜しみない歓声が上がりました。

「よし!!!!」

思わず、小さくガッツポーズをしたことを覚えています。

めでたく、関東7位。

悪くない成績でしょう。

打ち立ててやりました!!!

音楽をやめて1年足らずで

仕事の方でも成果を立ててやりました!

すぐに社内で祝勝会(?)が催され、

翌月には『店舗責任者』という肩書きも用意され、

お給料もさぞかし上がるだろうとワクワクしていました。

だって他の平均的な販売員の3倍も売り上げてるんですよ?

そりゃあ、給料も上がるでしょう!!

と稲垣青年は完全に浮かれモードな訳です。

実際、周りからもとーーってもおだてられましたし、

社内研修会とかいって多くの販売員の前で

販売の秘訣を教えたり、

期待は高まるばかり。

もう、いても立ってもいられない状況でやってきた給料日。

ワクワクしながら明細を開封、、、!!!!

「役職もついたし、成績も残したし、

これは大きいだろう!!!」

結果は

基本給8000円アップ

、、、、

え?

8千円?

8万円じゃなくて???

俺平均の3倍の売り上げをあげるんだけど、、、

マ、マジか、、、、、

稲垣青年、この時23歳。(間も無く24歳)

現実の厳しさを知り、

これをきっかけにビジネスの世界へ。

正直、これは応えましたね、、、

結果さえ出せば、

金が入ってくると本気で思い込んでいたので

ですが、ここからが本題!!

次回、いよいよ個人ビジネス編です。

第4話 弱者が最速、最短、最大に稼ぐ方法