稲垣新太の人生 第1話

シェアする

〜目次〜

序章 低学歴サラリーマンが自由を掴むために使った“ある能力”とは?

第1話 高校生ですが、しっかり人生が狂いました ←今ココ

第2話 音楽廃人の末路

第3話 搾取され続けるハイスペック社畜の作り方

第4話 弱者が最速、最短、最大に稼ぐ方法

こんにちは、稲垣です。

今日は第1話という事で、私の高校時代のお話をしようと思います。

はじめに言っておきますが、

私の人生設計は

『高校時代に崩壊します(笑)』

もともとはちゃんと大学に行って、

普通に会社員になるつもりでしたから。

「でもそれで、ビジネスで成功できたからいいじゃん」

と思うかもしれませんが、

実は個人でビジネスをするために、

大学にいかなったわけではありません。

もっとしょうもない理由です、、、笑

私の高校受験は

『自宅から一番近い学校に行きたい』というしょうもない理由で

東京都八王子市のはずれの

そこまで頭の良くない(悪くもない)学校に入学します。

そして大学も同じ理由で

自宅から最寄りの公立大学への入学を考えてました。

学力とかそっちのけの考えです 笑

とは言っても、

公立って基本的に偏差値高いじゃないですか。

ですが、

その頃から私は勝気が強く、

勉強はあまり熱心にしたことがないのにも関わらず、

「それなりにやればどうにかなるだろう。」

なんて本気で思ってました。

(本音を言うと今でも思ってますが 笑)

そしてそんな生意気な私が

高校入学後、一番はじめに感じたことは

「なんかバカばっかりでつまんねえな、、、」

という感情。

振り返ってみると我ながら

根性ヒネくれてるクソガキですね 笑

なぜそんなことを思ったかと言うと

中学校は公立だったので、

受験は当然なかったんですよ。

そうすると生徒間の学力にすごい差が出るじゃないですか?

ものすごい学力が高い人もいれば、

逆に低い人もいるわけです。

そこで当時

私が形成していたグループというか仲の良い友人たちって

ほとんどが自分より学力が高かった人で、

そういう人となんとなく気があっていたのですが、

それが一転、

周りの人間が自分と同レベルのバカばっかになったわけです。

自分のこと棚にあげまくってますね、、、

でも、本当にバカばっかりだったんだもん!爆

高校1年生ながら環境って重要だな、

とバカなりに気づき後悔しました。

といっても、

済んでしまったことは仕方がないので、

まあ、同じ中学出身の奴らも多いし

「適当にやり過ごして勉強でもしとくか」と斜に構え、

部活も入らず、ろくに友達も作らず、

随分ネガティブなオーラを放っていました 笑

稲垣暗黒時代の到来です 笑

ですが、そんな稲垣少年の暗黒時代は

すぐに大きな転機を迎えるのです。

入学から2ヶ月程度たつと

私にも少ないながら友人ができ始め、

その中の一人、Mくん。

当時、猛烈に邦楽ロックにハマっていた私と

音楽の趣味が抜群にあい、意気投合した友人です。

たまたまでしょうが、

周りにロック聴いてる人が全然いなかったんですよね、、

当時まだ売れ始めだった

ASIAN KUNG-FU GENERATIONを

二人して愛していたのですが、

新譜が出ると

二人できゃっきゃっ言って騒いでました。

この曲のここがいいとか、

あのバンドもいいとか、、。

そんな彼から

「稲垣も軽音部に入らね?」

と誘われたのです。

誘ってもらって

すごい嬉しかったのに

「そ、そんな入って欲しいなら、

 ま、、まあ、いいけど、、」

キョどりながらこんなようなことを

言ったことを覚えています 笑

そのままの流れでなんやかんや、

ギター担当として、軽音部に入部。

そして以来、

音楽にずぶぶぶぶぶっと頭のてっぺんまで

のめり込むことになります

とにかく衝撃を受けました。

今の自分の人格形成に一番大きく影響を

与えたのは間違いなく『音楽』です。

15歳〜23歳までは何よりも音楽に本気でした。

というか音楽のせいで確実に人生狂わされました 笑

色んなバンド、

色んな音楽、

色んな仲間と出会い、

自分の能力やセンスがどこまで通用するか、

全身全霊で勝負する世界で切磋琢磨しましたし、

『プレイヤー』としてだけでなく『リスナー』としても

自分の心を動かす音楽とたくさん出会いました。

ま、私の音楽半生は大して面白くもないので、

そのことについてはまたいつか別でブログにでも書きますね。

軽音楽部に入ってからはとにかく音楽に夢中で、

高1の終わりには大学のことなど、とうに眼中になく、

勉強もほどほどにバイト、練習、ライブの無限ループでした。

一度やり始めるとトコトン入れ込む性格なので、

『真剣に売れる』つもりで

作曲やギター、歌の練習に取り組んでいたんです。

 

高校三年間、部活でバンドをやってみていろいろ感じました。

学校外でもライブをやったりだとか

学校外でバンドを組んでみたりだとか

色んな試みをしていく中で感じたのは

周りの音楽をやっている人との『熱量の差』です。

私は真剣に『売れるつもり』でやっていたので仕方ないことですよね。

周りのみんなは普通の高校生ですから、、、

「もっと真剣にやっていこうぜ」

「本気でやるならこういう風にしていこう」

という風に掛け合っても

一緒に音楽をやってる人間の中には

「そこまでついていけないとか」

「自分はそういう気持ちじゃない」

っていう人も当然いるわけで

そこで自分が身を置くべき環境というのを真剣に

進路に置き換えて考えるになりました。

『大学に行く必要ねえな。

 そうだ、音楽の学校に行こう!』

この時、稲垣少年17歳。

その頃にはすでに大学へ進む気はなくなっていたので

両親に相談して、しっかりお願いして頭を下げて

音楽の学校に行かせて欲しいって言う風に頼んだんですね。

その時の両親の反応はというと

父は賛成、母はに反対という

対照的なものでした。

我が家の両親は

父は完全に『放任主義』

母はそれを止める役割でバランスの取れた両親で

どちらもすごく尊敬しているんですが

父はその時、

「新太がやりたいことがあるなら好きにやればいい。」

と当然のように応援してくれていて、

子供ながらに励まされたというか

後押してもらったなっていう風に今でも思います。

母親は私が『大学に行かない』っていう選択を取った時に

それが今後の人生にどういう影響を及ぼすか

ってことをしっかり説明してくれて、

頭ごなしに反対してたってわけじゃなかったですね。

まあ、とっっても怒ってはいましたけど 笑

そんなこんなで稲垣少年が

音楽学校に進学するという決断をすると

高校生活はあっという間に終わりを告げます。

音楽の専門学校なんて志願すれば誰でも入れるので、

受験らしい受験もない訳で。

高校生活を総括すると

・音楽にのめり込んだということ

・まだビジネスには興味を持っていない

という所ですね。

ですが、

この時期に私が音楽にのめり込んだことと

今やっているビジネスってのは

影響、関係性がものすごくあって、

今の自分のスタンスはこの時代がなかったらありえなかったんです。

人が作る芸術、

誰かが音楽に対して人生の全てを注いで

自分の感受性を絞り尽くして生み出した

その『結晶』っていうのに

私はとても惹かれたんですよ。

つまり、人が作り出す

『人の感情を表したもの』に魅了されたんですね。

それは音楽に限らず

漫画や小説、映画など

いろんなものに惹かれましたが

その中で一番大きく影響を受けたのが音楽。

だから今は情報発信というビジネスにフィールドは変わりましたが、

その人しかできない

私にしか生めない『感情の熱』のようなものを

発信に込めるように心がけてます。

それも半端は一切なし、

文章にも活動にも自身の全身全霊を尽くす。

だって高校生の時から

そうやってきたアーティストたちに憧れてきたので

それは音楽だろうと、

会社員だろうと、

情報発信者だろうと関係なく、共通しているんです。

だって生半可な気持ちで上辺だけのテクニックだけで

そつなくこなしてる人から生まれる、

そんなものってつまらなくないですか?

音楽でも

漫画でも

小説でも

映画でも

ブログでも

メルマガでも

YouTubeでも

なんでもそう

私はつまらないと思う。

人間が本気で全身全霊を注いで、

生み出したものを見たい。

そういうものに触れたい。

そうじゃなかったら機械でいいじゃん。

私はそう思う。

そんな考えに至ったのも

全部高校時代の経験からです。

では、高校生活で出会った音楽が

その後の私のビジネス人生にどういう風に影響を与えたか

次回以降でさらにお伝えしていきます。

次回は専門学校編ということで

興味があれば是非!

第2話 音楽廃人の末路